HAMUの、先端巨大症って何とかならんか!

難病コラム一筋5000本の下垂体患者・活動家、先端巨大症とホルモン。



2017年04月


2017年02月02日

シグニフォー検査入院(五)

薬物の動態です。
打ってすぐ血中濃度が上がるのではなく、
最大値は20日後です。
最大値にならないと
現実に副作用がどの程度あるか、ないのか、
わからないのでしょうけれど、
長く入院し続けるのは、自分もつらい。
自分の職場もインフルエンザが流行したらしく、
体制に無理が来て、上司の嘆き節も聞こえてきました。

シグニフォー検査入院(四)

この薬、製品化される前から、
縁のある存在でありまして、
最初にその存在を聞いたのは10年ほど前でした。

シグニフォー検査入院(三)

サンドスタチンには速効型の皮下注用「サンドスタチン」と
月に一度注射する「サンドスタチンLAR」がありまして、
最初は前者を使って適応を確認してから、
LARへ移るわけです。
ところが、シグニフォーはLARタイプしか
発売されていません。
そのため、入院して観察する期間は
長くなる構図があるようです。
病院によって期間は違うかもしれません。

シグニフォー検査入院(二)

初めての薬とお付き合いするのですから、
添付文書から読んでみました。

2017年01月22日

シグニフォー検査入院(一)

先端巨大症の新薬テストで9泊10日、
虎の門に検査入院し昨夜、帰宅しました。
試したのは、シグニフォーLARで、
血糖コントロールのめどが立ちましたので、
外来でのフォローに移ります。

2016年08月13日

血糖値が暴走

血糖と向き合うため、
8月13日は自分の覚悟を刻む日になりました。
忘れずに書いておこうと思います。

2016年08月11日

突発性難聴で入院(七)

土曜日の病院は点滴はあれども
検査があるわけではないので、
だらっと過ごしているのです。
リオ五輪の開会式を病室でテレビ観戦しました。
その日の昼食は、フェジョアーダでした。
黒インゲン豆と豚肉の煮込み料理で
ブラジルの国民食らしい。
忘れられない食事になったと思います。

突発性難聴で入院(六)

自分のブログはホルモン病のサイトなので、
ソル・コーテフのことも、書いておきましょう。

突発性難聴で入院(五)

入院中はできるだけ些事を忘れるよう努めています。
ストレスが悪いという説もあります。
四人部屋で窓側は少し割高な差額ベッド代があるのですが
奮発して入りました。
窓から眺める夏の大空と雲の流れを追いながら、
慌てても仕方がない。
ある意味、病院は一番安全な場所なわけです。
もし通院でやれといわれても、
低血糖も高血糖も怖いですから、
お任せするしかありません。

突発性難聴で入院(四)

入院して最初の血糖測定は
夕食前の空腹時で285でした。
食事は2100キロカロリー食で始まり、
医師監修のもとでインスリン量を調整しました。
すぐに午前1時血糖が169という感じになるのですが、
そこからはまた280とか
そんな感じに上がり、
糖毒性改善には一定の時間がかかります。

突発性難聴で入院(三)

よく7月29日の朝一番で虎の門病院にいきました。
耳鼻咽喉科で同じ聴力検査をすると、
同一の傾向が見て取られましたので、
即日入院となりました。

2016年08月10日

突発性難聴で入院(一)

右耳が突然聞こえなくなりまして、
入院生活が始まりました。突発性難聴です。
入院中に書きあげたルポをどうぞ。

2016年07月12日

サンドスタチン増量

久しぶりに先端巨大症のことを
書いておこうと思うのです。
月に一度打っているサンドスタチンが
20から30ミリへ増量になりました。

2015年11月18日

小さな喜び積み重ね

半月板損傷によって
右ひざは曲がりにくくなっていますが
それでも、毎日少しずつ
回復をしていて、
きょうは9日ぶりに靴下を
自力ではくことができました。
パチパチパチ。

2015年11月13日

半月板損傷も手術回避

右ひざの半月板には
内側・外側ともに、うっすらとした、白い線が
真横に部分的に入っていて、
亀裂のようにも見えるし、
MRI特有の「強調」にも見える。
ただ、手術にはならず、経過観察をする、
という見立てでした。
ひびらしきものは入れど、
一応、無事な形をしていた。
半月板についてはこちら

2015年11月12日

右ひざが曲がらない

京都での医療講演会を終えて、
再び東京の職場に戻った
11月10日午前中のことでした。
ビデオ資材の入った大きめの荷物を
運んでいたら、
突然に右ひざが折れたように、
がくんと崩れて動けなくなりました。

2014年01月29日

下剤4リットル

大腸内視鏡の結果はその日の夜に
病室に届けていただけました。

2014年01月28日

大腸内視鏡なのだ

虎の門入院中、こちらからリクエストした
検査項目がありまして、
大腸内視鏡です。

2010年04月21日

皮膚科で診察

皮膚科に蜂窩織炎を診てもらった。
腫れは引いているが、
若干の熱感が残る。

2010年04月20日

目立った異常なし

入院初日のHbA1cは9.7であった。
仮に、未治療のまま、この数値が続けば、
合併症が起きても不思議ではない。

2010年04月19日

網膜症はなし

糖尿病三大合併症の一つに、
網膜症がある。
19日、眼底検査を受けた。
今のところ、問題はないという。

2010年04月17日

血糖下がる

今朝からのみぞれがやみ、雲間の青空が帰宅を誘う。
週末は検査がないので、
いったん自宅へ戻ることにした。

2010年04月16日

病院の窓から

リセット入院、三日目の朝を迎えた。
腹部超音波検査のため、今朝から禁飲食だ。

2010年04月14日

リセット入院

今朝から虎の門に入院である。
左脚の蜂窩織炎もどきと、
血糖上昇を受けてのもの。

2010年02月26日

肝機能障害は起きず

ペグビソマントを再開して1か月。 
肝機能を虎の門病院で調べてもらった。

2010年02月18日

晴れて特定疾患患者に

自宅に昨夜、東京都から医療費の受給者証が届いた。
ワタシも晴れて特定疾患患者である。

2009年06月20日

残り火は恐ろしい

蜂窩織炎(ほうかしきえん)は
いったん陰性になって、
職場復帰したのだけど、
わずか一日で再び陽性になり、
自宅待機に逆戻りした。
歩くのはよくないらしい。
病院まで通うのもよくない。

2008年09月21日

採血の結果は

IGF1も今回(9月3日)は476に上がっていた。
前回(4月30日)は385であった。
成長ホルモンは2・6である。(前回1・7)
山田先生によれば、検査キットが変わったそうで、
二割ほど誤差があるらしい。

2008年09月18日

糖尿が悪化した

糖尿病が悪化した。
ヘモグロビンA1cが9.7%(正常は4.3から5.8)である。
4月末が7.0で「やや不良」(6.5から7.9)だったのが、
わずか4カ月間で、立派な不良値(8以上)だ。
コントロールできていない状態である。
空腹時血糖値も292と高い。(正常値は70から110)
これも160以上だから、高血糖が暴走中ということなのだろう。
内分泌の竹下ドクターから「一週間すぐに入院するか」と誘われた。
仕事もあるし、躊躇していると、
10月3日に再来院して、改善されていなければ、
入院という段取りになった。
いつも優しい竹下先生だが、この日は調子が違う。
それだけ、厳しい状態なのだろう。
インスリンの錠剤を追加してもらい、診察を終えた。

2008年02月27日

睡眠時無呼吸症候群と診断された

睡眠時無呼吸症候群の簡易検査の結果が出た。
軽度の異常が認められた。
無呼吸低呼吸指数は一時間あたり13.5回。
正常値は5回以下である。

2008年02月09日

睡眠時無呼吸症候群かも その一

昼間に猛烈な眠気を感じる生活が続いている。
睡眠時無呼吸症候群(SAS)かもしれないと思い、
専門医をたずねた。

睡眠時無呼吸症候群かも(二)

質のよい睡眠は人生に欠かせない。
重要なのは時間より効率的な深い眠りであろう。
だが、アクロメガリーが発見されたころから、
熟睡感が得られない。
以前から、この症候群は疑っていたのだけど、
あまり余裕がなくて、調べる気にならなかった。

2008年02月08日

サイバーナイフ効果はのんびりと

2月7日は、
脳外・山田正三先生の診察である。
昨年11月26日付の血液検査で、
IGF1が546と跳ね上がったことについて、
コメントを求めた。
サイバーナイフ直後に306を最低値に、
良くなったり、悪くなったり、波があり、
4~500と変動幅も大きい。

2007年12月28日

腫瘍は良性

27日、大腸内視鏡で摘出したポリープの検査結果が出た。
若年性大腸ポリープだということで、良性であった。
心配事が一つ減っただけでも、
なんだか身が軽くなった気がする。

2007年12月22日

再びIGF1が上昇した

久しぶりに自分のデータだが、
今回は残念な結果である。
2007年11月26日付。
成長ホルモン(GH)は相変わらず、2・0で変わらない。
だが、IGF1は546と跳ね上がった。
成長ホルモンの数値の割には、IGF1が高い。
ワタシの年齢でいうと、男性のIGF1の中央値が160である。
+1SDは204、+2SDは255である。
255を超すと異常値ということになるのだろう。
ファイザー社にグラフのサイトがあるから、
ご覧頂ければ、
ワタシの年齢もばれてしまうな。

2007年12月13日

大腸ポリープを取ってきた

懸念だった2センチ大のS字大腸ポリープと
さよならする日がやってきた。
おなかに鎮座してから、
落ち着かない日々を過ごしてきたので、
ほっとしたような、
詳しい検査結果を聞くまではまだのような、
夏休みの宿題をやり遂げた小学生のような気持ちかもしれない。

2007年12月12日

あした入院

昨夜は、娘の誕生日ということで、
ケーキを大量に食べる羽目になり、
胃もたれなのであるが、
そのうえ、
今朝からかゆを食べ、
胃も気分も重たい。

あす11日、大腸ポリープを内視鏡で取るのである。

2007年09月14日

サイバーナイフの結果OK

13日、虎の門でMRIである。
以前は、撮影してから、現像する手間があったので、
すぐにドクターが評価できなかったのであるが、
いまは、フィルムも存在しないようで、データがパソコン画面に現れた。
「もう、どれが腫瘍か分からないなあ」。
山田先生が言う。

2007年08月25日

過形成ポリープ

一センチの大腸にポリープが見つかり、組織検査に出してもらっていたのだが、
結果が出た。
過形成ポリープであった。
老化による細胞のシワのようなものだ。
がんになる可能性はない。

2007年02月07日

IGF1が425に

2月1日の採血データが分かった。
虎の門病院で山田先生のコメントを頂いた。
IGF1は425である。
9カ月前のサイバーナイフ以後、500台→300台→500台となったが、
今回の数値(425)から見て、下がる傾向にある。
このまま、様子を見ようとなった。
引き続きカベルゴリンの投与で様子を見る。
ちなみに成長ホルモンは1・41だ。日内変動が大きいが、まあ、いい数字である。

テストステロンであるが、前回の109→281
フリーテストステロンは前回の2・6が7・1に向上した。
補充療法の影響が明らかだ。
数値がよくなると、やはり、うれしい。
IGF1はさらに3カ月後(サイバー一年後)に楽しみを取っておく。
それよりも、今回の収穫は、フリーテストステロンだ。
ここ数年、不定愁訴に悩んできたが、
数値で裏付けられたことで、ホルモンを制したという達成感があるぞ。

2006年06月15日

カバサールを二錠に

血液検査の最新版(6・06)が出て、
電話で主治医に聞いたところ、
IGF1は逆に549と50ほどあがっていた。
カバサールを倍の2錠にするという。

2006年06月08日

ガンマナイフを経てほぼ完治の例も

久しぶりに診察があり、 
今後の治療方針について、話があった。
IGF1は約100下がったが、
まだ、異常値であることは間違いない。
カバサール1ミリを倍まで増やす方向で、
検討することになった。
当日採血だったので、
その結果を見て、である。

2006年05月14日

サイバー体験(その6)

サイバーの後日談である。
やはり、後遺症は無い。

最終日の夜は、患者会の件で、山田先生と意見調整のため、
虎の門病院へ直行した。
診察が目的ではなかったが、
山田先生にサイバーが終わったことを報告し、
お借りしたフィルムを返却した。

2006年05月13日

サイバー体験(その5)

サイバー3日目である。
やはり、副作用は無く、順調だ。

照射が始まると、耳元で「ウイーン」という音がした。
どこかで聞いたことがある音だなと考えていたら、
夏休みの工作で模型に使われる「マブチモーター」を回したときと同じ音である。
その瞬間、
モーターを回し始めたときと
同じ匂いが鼻をくすぐった。
(小型モーターを回して、鼻を近づけると、匂いがするよね?)

2006年05月12日

サイバー体験(その4)

サイバー2日目である。
何てったって、場所は脳下垂体なのであるから、
サイバーを受ける前は、
ああでもない、
こうでもないと迷ったものだったが、
初日を過ぎると、
慣れが生まれた。
外科にしろ、薬にしろ、放射線療法にしろ、
人間は、どんな環境にも慣れるのだ。

2006年05月11日

サイバー体験(その3)

ベッドに寝て、サイバーナイフの治療が始まった。

2006年05月10日

サイバー体験(その2)

1時間たつと、佐藤先生から説明があった。
パソコン画面に、スライス画像が表示された。
手元には、コンピューターグラフィックをつかい、
対象の腫瘍が立体的に描かれた写真入り説明文が置かれた。

2006年05月09日

サイバー体験(その1)

サイバー初日。
あいにく、横浜は小雨だった。
入院はしないので荷物は少ない。
これから、三日間、自宅から通うのである。

2006年05月08日

明日からサイバー

明日から横浜でサイバー体験である。
3日間、日帰りの「手軽さ」なのであるが、
ピクニックに行くような浮かれた気持ちになれるはずもなく、
かといって、動揺しているわけでもなく、
ただ、何となく、
腰の据わらない時間を過ごしている。

2006年04月18日

賭け

サイバーナイフの治療は、 
医者の助言がきっかけだったけど、
結局、自分で決めた。

2006年04月15日

サイバーナイフの副作用

サイバーを体験したブログ読者から、 
次のようなメールが来た。

2006年04月14日

虫めがねの原理

誰でも子どものころ、
虫めがねを使って、
太陽光を集めて遊んだことがあるだろう。
焦点以外に手をかざしても、
どうということはないが、
集中点は、エネルギーが集まり、
モノが焼けたものだ。
レディオサージェリー(放射線外科)は、その原理を使う。

2006年04月13日

コルチナ基準

先端巨大症の世界的治癒基準に「コルチナコンセンサス」がある。 
これは、1999年2月に、イタリアのコルチナで開かれた
先端巨大症のワークショップに由来する。

2006年04月12日

ガンマーナイフとの違い

サイバーナイフの説明の続きである。 
サイバーナイフと似た放射線療法に、
ガンマーナイフがある。
どう違うか。

2006年04月11日

横浜サイバーナイフセンター

相鉄線二俣川駅からタクシーで20分ほど。
横浜市最大規模の団地群を抜けると、
その病院はあった。
医療法人社団 新緑会脳神経外科 横浜サイバーナイフセンターである。

2006年04月07日

ひさしぶりの診断

久しぶりの診断だ。

2006年02月06日

サイバーナイフを勧められた

年始早々にとったフィルムを前に、
主治医が次の一手を指示した。
サイバーナイフである。
うーむ。
やはり、来たか。

2006年01月05日

MRI撮影をした

再手術から半年ほどたったので、
MRI撮影をした。

痛みは別に無い。
胃カメラやバリウム検査のように、
慣れたとしても、
ある程度は苦痛を伴うそれとは次元が違う。
狭いところが苦手な方はお気の毒だけども。
そうでない方は、
本人は寝ているだけの、
どうってことない検査である。

ワタシはうとうと寝てしまうタイプのようだが、
周りに聞いてみると、
寝てしまう人は少なくないらしい。

さて、検査そのものより、
結果が気になる。

2005年12月14日

採血の結果

12月6日に採血した結果が出た。
成長ホルモンは、1・5まで下がっていた。
だが、IGF1は相変わらす600と高い。

両者のギャップは何なのか。
不可解な数値なので、
いろいろ調べる必要がありそうだ。
主治医は、後者の数値が特異的に上がる可能性について
検討されるようである。

2005年12月08日

久しぶりの病院

ひさしぶりに、
主治医の診断があった。
といっても、午前中の採血の結果が
その日のうちに出るわけではないので、
長期的な治療方針は次の機会に、である。

カバサールを引き続き、隔日で服用する。
カバサールは、眠くなる副作用があるが、
私は寝る前に飲むようにしている。
それで、ぐっすり眠られるのだから、
ありがたい。

2005年10月31日

カバサール

再手術後、カバサール(カベルゴリン錠)を服用している。
注射薬の「サンドスタチンLAR」が普通なのだろうけれど、
金額的に負担しづらいことを医師に述べると、
ドパミン系列でまだ使っていない「カバサール」を試用することになったというわけだ。

2005年10月21日

来年に一月にMRI

来年1月にMRIを予約した。
腫瘍摘出後の患部の、
安定した姿が見られることだろう。

2005年10月18日

自分の中で変わったこと

自分の病気を知ったのは、二年前のこと。
ちょうど、今の季節だった。
「脳下垂体に何かがある」と言われ、
一月には手術だった。
入院先で、二カ月間の寝たきりを余儀なくされ、
心を棚卸しした。
あれから、
自分の中で何かが変わった。

2005年10月15日

糖尿病の治療で転院

糖尿病の治療で、
地元のクリニックに通っていたのだが、
勤務実態にあわなくなった。
親しくしていた医者の診療時間帯が、
変更されたためである。

2005年10月05日

血液検査 結果は「道まだ険し」

1カ月ぶりに、診察である。
血液検査の結果だ。
成長ホルモンは1・2まで下がっていた。
ブラボー!!

だが、IGF1は高い。
約700だった。
道はまだ険しい。

2005年09月18日

コルチゾール採血

コルチゾール採血である。
コルチゾールは、
糖の代謝にかかわるホルモンで、
副腎皮質から分泌される。

2005年09月14日

全身麻酔

首から上の手術であるので、
全身麻酔をして手術に臨む。

2005年09月12日

採血 その3(三種負荷テスト)

早朝空腹時に、
LH-RH、TRH、CRFの三種類を注射し、
30分ごとに2時間後まで採血をした。

2005年09月10日

採血その2(ブドウ糖負荷試験)

成長ホルモンは、
睡眠や絶食、運動、ストレスなどによって、
日中の数値は大きく変動する。
採血で成長ホルモン値が高いからといって、
それだけでは、
先端巨大症かどうか、分からない。
負荷試験をすることで、
診断するのである。

2005年09月09日

採血 その1

「吸血鬼みたいでしょ」。
病院のベッドで目が覚めると、
看護師がずらりと、採血管を並べた。
入院中は、手を変え品を変え、
さまざまな採血検査が、ほぼ毎日ある。

2005年09月08日

新たな課題

先端巨大症患者は、糖尿病が多い。
成長ホルモンは、インシュリンの拮抗ホルモンだからである。

手術によって、
成長ホルモン値は大きく下がった。
だが、耐糖能は思ったより、
改善しなかったようだ。
食後血糖値が大きかった。

2005年09月05日

尿崩症

脳外のなかでは、
下垂体の経鼻手術は比較的安全な部類に入る。
だが、リスクの無い手術もまた、
無いのであって、
下垂体摘出の後遺障害に、
尿崩症がある。
おしっこが止まらない病気だ。

2005年09月02日

視野検査をした

入院中は、各科に呼ばれるのを、
待つ日々である。
眼科に呼ばれて、
手術前の視力・視野を検査した。

2005年09月01日

腫瘍はS型

成長ホルモン(GH)産生下垂体腫瘍は、
他の機能性下垂体腫瘍と異なって、組織形態が多様である。

大別すると、二つのタイプに分類できるという。

2005年08月31日

サンドスタチンの負荷テスト

再手術で腫瘍を摘出する前のことだ。
入院前に時間をかけて、「サンドスタチン」の負荷テストをした。

成長ホルモンの値である。
(あくまでワタシの数値である。効き具合は、個人差あり)

2005年08月30日

入院の初日

入院前は、脳神経外科と同じフロアの病室だと思っていた。
あの独特の雰囲気を味わうことになるだろう、と予想していた。
だが、脳外は違う階であり、一緒のフロアはホルモンの内科系だった。
たとえば、同室の方は、甲状腺関連の病気といった感じである。

2005年08月28日

傷口をいたわる

退院して、剥いた梨を丸かじりしようとして、
大きな口をあけたら、
鼻が痛かった。

再手術を経験した その6 最終回

【再手術体験ルポ その6 最終回】
今回と前回の手術は、
患者負担の度合いから見て、質が違っていた。

2005年08月27日

再手術を体験した その5

【再手術体験ルポ その5】
手術のルートになる筒は、狭い。
ハサミと吸引器などの鉗子(かんし)2本が入っているだけだ。
狭い筒の中で自由に鉗子を動かし、
奥底で繊細な手術を行う。
難しい角度から、
細かな作業を行う独特の難しさがあるはずだが、
それを補うのは、経験以外の何者でもないだろう。

2005年08月26日

再手術を体験した その4

【再手術体験ルポ その4】
ここから先は、ビデオ映像である。
手術を終えて、山田先生から渡されたテープだ。
入院部屋では各自のベッドサイドにテレビビデオがあり、
執刀状況を術後に見ることが出来る。
(注、これ以降、気持ち悪くなる表現が出てくる)

普通の生活が始まった

退院して、普通の生活が始まった。
医者から受けた「注意」は単純明快であった。

2005年08月25日

退院の朝


検査を含め、
入院期間は8月10日から25日までの
15日間だった。

2005年08月24日

再手術を体験した その3

【再手術体験ルポ その3】

オペ当日である。
朝、術衣に着替えると、
大山先生が「竹輪」(ちくわ)のようなシールをおでこに四ヵ所張った。
ずれないようにサインペンで印をつけた。

再手術を体験した その2

さて、ルポの二回目です。

【再手術体験ルポ その2】
ここに下垂体MRI写真がある。
まずは、最新の再手術後の画像を見て欲しい。

after3.jpg

2005年08月23日

再手術を体験した その1

木曜日に退院することがほぼ決まりました。
再手術の体験記を順次送ります。
声援のメールありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。

【再手術体験ルポ】
国会議事堂や霞ケ関の官庁街を
新橋方面に歩くと、
虎の門病院がある。

2005年08月17日

手術は成功しました

病院の公衆電話からブログを更新しています。
手術は無事に成功しました。
できるだけの腫瘍を摘出できたようです。
今のところは、後遺症も無く、順調です。
こうやって歩けるまで回復しました。
詳しいことは、
元気になってから、報告します。

2005年08月14日

明日は手術

明日手術をする。 
何日かたって、
ブログを再開し、
皆さんに無事を
報告できることを願い、
信じている。

2005年08月10日

入院初日、自宅にて

入院前の戯言、あれこれ。

2005年08月06日

クスリの効き具合

世の中、いろんな事実があるし、
事実は逆らえない。
事実は不可抗力である。
病もまた、しかりだ。

2005年08月05日

道程は長く、険しい

蛸が斜めに首を傾げたような、
上方にある部分。
これが問題なのだ。

2005年08月03日

腫瘍の形

さて、現在の腫瘍のことだ。
写真で見る限り、
腫瘍は小さくはなったけれど、
依然として残っており、
薬を飲んでもいまひとつ数値が良くならない。
数値を改善するには、もう一度手術をするしかない。


初回の手術後の腫瘍

ope.jpg

初回の手術前の腫瘍

pre.jpg

2005年08月02日

自己血輸血のつづき

8月15日に手術をする。
入院は10日だ。
どこまでブログを更新できるか分からないが、
書けるだけ書いておく。

自己血輸血

手術先の病院で、
自己血を採る日である。
他人の血を輸血すると
副作用の可能性が避けられないから、
手術の出血に備えて、
あらかじめ血を採っておくのである。

2005年07月20日

サンドスタチン負荷テスト

サンドスタチンの負荷テストをした。
皮下注射をし、成長ホルモンなどの反応を見るのである。

2005年07月15日

腎出血の結果が出た

腎臓から出血をして、その原因を大学病院で調べてもらった。
その結果である。

2005年07月08日

CTSとレントゲンをとった

腎からの出血があったため、
がんの精密検査をすることになった。
念のためって、ヤツですな。
そう。あくまで念のためだ。

2005年07月01日

腹部エコー

暑い昼間の散歩から帰ると、
ワインのような尿が出た。
うーむ。
我が目を疑った。
今度は、目に見える血尿である。
翌朝、近くの大学病院の泌尿器科を訪ねた。

2005年06月22日

新しい病院

寂しい雨の朝だった。
濡れるのは、嫌いだ。
短い距離だが、地下鉄を乗り換えた。
降り口で、地図を見ると、霞ヶ関の官庁街が近い。
知っている空間の近くにその病院はあった。

2005年06月19日

転院に当たって

16日付で書いたように、セカンドオピニオン先の
外科医を新しい主治医として、病院を転院することにした。

迷いが無かったのではない。

2005年06月17日

何をしよう

再手術の前にすることって、何だろうか。
リストをいろいろ書き出した。
そのうちのひとつが、虫歯治療。
さきほど、治し終わった。
次は何をしようか。

2005年06月16日

転戦

病というものは、医者に任せるものだと思っていた。
だが、先端巨大症になってみると、
若干、勝手が違っていた。

2005年05月31日

ガンマナイフの名手をたずねた

セカンドオピニオンの続きである。
のべ千人をこす治療を行ってきたガンマナイフ名手を訊ねた。

ガンマナイフは日本に数十台あるが、
高価な機械なので、
減価償却するために、
なるべくたくさんの治療を行おうとする傾向があると以前から聞いていたのだ。

なので、なるべく慎重に判断してくれる先生がセカンドオピニオンにふさわしい。
前回、外科医のセカンドオピニオンに、
この先生なら、慎重に必要性を判断してくれるだろうと紹介してくれた先生だった。
東京都品川区にある病院をネットで調べ、
予約して診察室を尋ねた。

ワタシの腫瘍は、トルコ鞍右側に20×18×15ミリであり、
残存腫瘍では大きい。
右海綿静脈洞に浸潤している。
上部は視神経に張り付いている。やっかいな腫瘍だ。

診察室に入ると、看護師に預けていたフィルムを
張り出して、見比べていた。
先生は二つのことを強調した。
一つ目は、腫瘍の大きさだ。
ガンマナイフをかけるには、腫瘍が大きすぎる。
外科的手法によって、できるだけ多くとることを優先するべきだろうといわれた。

二つ目は、視神経に近い部分の腫瘍だ。
ガンマナイフは鋭く腫瘍を壊せるが、
視神経を一緒に壊してしまう。視神経はガンマナイフに弱い。
なので、問題の上部は、ガンマナイフをかけることは出来ないといわれた。
ガンマナイフではなく、放射線の分割照射になるであろうが、今度は切れ味が悪くなる。
時間もかかる。

サイバーナイフの可能性について、聞いたところ、
ガンマナイフは一発勝負に近いが、
サイバーナイフは分割照射ができるので、
選択肢になりうるということだった。
(この病院にはサイバーナイフはない)
いずれにしても、外科的手術が当面の課題であることは変わらない。
二人の医師に専門的なコメントを求めてきたが、
でた結論は同じだった。
まずは、外科的手術を優先すること。
この結論を持って、主治医に会いに行く。
おそらくは、転院をすることになる。

2005年05月23日

セカンドオピニオンの続報

フィルムと紹介状を持って、
セカンドオピニオンをした。
東京都港区にある病院だ。

1時間2万円という相談料だったが、
内容が濃くて、
情報はお金を出してでも、買うものだと思った。
自分の命を左右する情報だから、
当然といえば当然。

ワタシの前にも、同じように医療相談に来ていたヒトがいた。

さて、ワタシの場合、
ソマトメジンが1000台、成長ホルモンが5台というわけで、
ソマトメジンが高い割には、成長ホルモンは低い。
世の中には、成長ホルモンが200とか500のヒトがいるわけで、
腫瘍の大きさの割には、低い。
このことで、腫瘍のタイプについて、専門家の立場から、コメントいただいた。

また、パーロデルでコントロールが不良だった問題では、
ドーパミン系統の薬(テルロン、カバサールなど)が自分には効かないのかもしれない、
薬の利きにくい体質なのかもしれないといわれた。

サンドスタチンは別系統の薬なので、テストする価値があると指摘した上で、
外科的再手術を勧められた。

今かかっている主治医が考えている
「放射線療法」については、専門外ということで、別の先生を紹介してくれた。

というわけで、セカンドオピニオンの旅は二人目へと突入する。

2005年05月21日

セカンドオピニオンする

前夜、遅くまで飲みに行ったわりには、
今朝は早く起きてしまった。

きょうは、セカンドオピニオンに今後の治療を聞きに行く日なのだ。
なんとなく落ち着かなく、
思い出したように、ブログを書き始めた。

ここ一番で、セカンドオピニオンするなら、
このヒトと決めていた。
直接お会いするのは初めてだけど、
情報を集めていくうち、三つのことで相談先に決めた。

第一に、手術数を公表していること。
社会保険事務所に行けば、
病院の手術数を教えてくれるそうだが、
面倒で、誰でも調べられることではない。

しかし、この先生は、自分のホームページを持って、
堂々と手術数を公表している。
これはもう、自分の腕に自信がなくてはできないことだ。
手術数はおそらく日本一。
でも、メールやホームページから受ける印象は、
謙虚で普通のヒトだった。

ワタシがセカンドオピニオンを得るために、
忙しい中、便宜を図ってくださり、
感謝、感謝。

第二に、この病院が先生のホームぺージの存在を認めているであろうこと。
逆に言えば、個人としての先生が自由に振舞っている証拠であって、
いい職人が仕事するにふさわしい環境なのだろうと思った。
ワタシが通うマンモス病院は、いいスタッフが揃っていて、 医者も優秀なのだが、
大名行列(教授回診のぞろぞろ)なんかもあって、
どうにも、権威的なところも感じられるから、
自由な気風の病院も見たくなったのだ。

第三に、この先生が、下垂体外科医という仕事が好きなんだろうというオーラだ。
好きじゃなくては、いちいち、患者からのメールなんて、相手にしない。
一文にもならないことをするのだから、
このヒトは、よほど、医者としての仕事が好きなのだろうと思った。
ヒトはヒトに惹かれるものだ。
忙しいヒトほと、会いたくなる。

セカンドオピニオン料は、保険が利かないけど、
情報を買いに行く、
つまりは、
納得を買いに行く。
これからの治療に後悔したくないから。

2005年05月18日

鼻水にびびるワタシ

先日来、咳と鼻水に悩んでいる。 
熱が出るわけでもなく、
頭も痛くない。

薬を飲むまでもない、軽い風邪、
というより、ちょっとした変調だ。

だけど、鼻水を見て、それなりに多いので、
もしかしたら、
外科手術の際、
後遺症に悩んだ「髄液漏」じゃないか、
強く鼻をかみすぎたんじゃないか、なんて
けっこうビビッていたりするんですわ、ハイ。

2005年05月13日

転機を迎えた

再手術後1年半がすぎ、
転機を迎えた。

パーロデルの量を増やして、
経過を観察してきたが、
成長ホルモンは5・8と以前より増えた。
ソマトメジンは1020と変らない。というより、術前より増えた。
主治医は、「誤差もある」としながら、
薬によるコントロール不良を指摘した。
ここにきて、
主治医は、放射線による再手術を勧めた。
外科的手術やほかの薬も示唆した。
簡単にリスクの説明があった。
次の一手をどうするか。

その場で、セカンドオピニオンを希望し、
フィルムを借り、紹介状を書いてもらった。
主治医は二つ返事で書いてくれた。

2005年05月11日

あした大学病院

あした、というより、日付では「きょう」なのだが、 
大学病院にいく。
血液検査の結果が出ているはずだ。
パーロデルの効果はいかに。
そして、サンドスタチンは新たな投与になるのか。
まあ、なるようにしかならんのだけどね。

2005年05月09日

うまく寝られないのだ

この病気になる前は、一日八時間はたっぷり寝ていたし、
どこでも熟睡できるヒトだったのだが、
いまは、どうにも、眠れない。
寝不足は万病の元というから、
何とかしたいのだけど、
困ったものだ。

因果関係はよく分かっていないのだけど、
糖尿病のヒトは、不眠を訴えるヒトが多いという。
過労やストレス、
睡眠時無呼吸症候群、
夜型の仕事、

思い当たることが多すぎて、
どうにも、ならないかも。
なんて、弱気かしら。

一度、医者に聞いてみようっと。

2005年05月06日

休日の過ごし方

休日ともなると、結構時間をもてあますタイプなのだが、
何かひとつ、新しいことをするようにしている。

先ほど、鯛を下ろして、刺身や椀物、鯛茶漬けを作った。
鯛を下ろすのは初めてで、なかなかに面白かった。
しかも、奮発して、天然もの。

それでも、どこかに行くよりははるかに安上がりで、
充実感もある。春の味だ。

ぼんやり過ごすことが多くても、
何かひとつは昨日の自分と違っていたい。

病気のことばかり考えては、
煮詰まってくるので、
自分を好きになることに
時間を使っている。

2005年04月30日

ご無沙汰

しばらく、ご無沙汰!
病気のほうは、あまり変化がないのだけど、
家族にいろいろとごたごたがあって、
仕事もブログも手につかない、
そんな状態だったので、
きょうは、
ブログ復帰する日に決めました。

2005年04月14日

血液検査の結果やいかに

大学病院で血液検査をした。

ワタシは静脈が出にくくて、
触診で見つけにくく、
看護士泣かせなのである。
だが、この採血センターでは、実に要領よく、みつけ、採血をしていく。
大学病院は毎日、何十人と採血するからだろう。
採血のプロなのだ。
チューブ付きの最近の注射器は、あまり痛くないので、
よろしい。

2005年04月09日

血液検査を前に

来週の水曜日に、大学病院の主治医に会う。
血液検査がある予定だ。
この結果によって、サンドスタチンLARの投与が決まる。
私の場合、ソマトメジンCの数値が悪いので、
腫瘍の縮小効果が期待できない以上、
パーロデルだけを飲めばいいというわけにはいかないのだ。

2005年04月04日

パーロデルの副作用

いきなり、品のない話で恐縮だが、
パーロデルを飲むと、
おならが出やすくなる。
常にお腹が張った感じになり、
無理をすると痛くなるので、
我慢せず、
こまめにトイレに行くことにした。

2005年03月24日

パーロデルを増やしたら

朝と夜に飲むだけだったパーロデルを
昼間にも飲むようになった。
一日5、6錠である。
昼間に飲むと仕事に影響が出るかと思ったら、
そう、
出ているといえば出ているし、
大丈夫といえば大丈夫。

2005年03月23日

職場の健康診断

きょうは、職場の健康診断だった。
朝早く出勤して、心電図や採血やいろいろ。
最後に医者の面接があった。
「胃がむかむかする」
「疲れやすい」
いろいろ細かく書いたのだけど、
医者いわく
「そう、先端巨大症か。ホルモンの病気はいろいろあるから。
困ったね。主治医に聞いてね」
って、おいおい。
それで、おわりかいっ!

2005年03月19日

血尿が出た

昨日の大学病院に続いて、内科に行った。
混む大学病院を避けて、糖尿病は近くの医者に行っている。
内分泌系の病気だから、糖尿病と末端肥大症は共通するものがある。
ワタシにとって、ありがたいセカンドオピニオン的な存在だ。
内科医の見立てでは、
末端肥大症を何とかしないと、糖尿病は改善しない。

2005年03月17日

病院はつらいよ

予約は9時20~50分の枠だった。
だが、正午を過ぎても、朝一番の枠が終わらない。
診察が始まったのは、四時間遅れ。
さらに薬を待つこと600人分。
病院を出たのは、午後3時半だった。
診療時間は五分だというのに。
新記録である。

2005年03月04日

手足がむくみ、不器用になった

ワタシはもともとは手先が器用だった。
細かな工作の類は得意だったと思う。
だが、この病気になると、手足がむくみ、不器用になった。

2005年03月03日

入院先のひなまつり

髄液漏があり、
ワタシは入院が長引いた。
1月末に手術をして、
寝たきりのまま、三月三日のひな祭りを迎えた。
一年前のことである。

2005年02月27日

先端巨大症と頭痛

先端巨大症に、頭痛はつきものだ。
診断の手引きで、副症候のひとつに数えられている。
ワタシも、目の奥が痛かった時期がある。

2005年02月23日

病院の夜は長い

病院の夜は長い。
小学生じゃないのだから、
午後9時に寝るっていっても、 寝られるもんじゃないですよ、アナタ。

2005年02月20日

食事介護、横になって食べる

傍目で見るより、よほど難しいことって、
経験したことはないだろうか。
横になって食べる。これは、難関である。

2005年02月19日

顔がむくんだ

大きくなったのは、足だけではない。
家族や知人に、顔のむくみを指摘された。
帰省した折、母親に
「手や足がはれており、どこか悪いのか」と聞かれた。
一年ぶりにあった前職場の同僚からは
「どうしてそんなに顔がむくんでいるのか。病気ではないのか」と指摘された。
一年ぶりに会った郷里の姉夫婦が、
「顔が別人のようで、一瞬だれか分からなかった」と心配した。

2005年02月17日

毎日、毎日、パーロデル

退院後に飲み始めた薬を
「ブロモクリプチン」(商品名パーロデル)という。
赤いパッケージに入った小憎いヤツだ。

2005年02月12日

糖尿病になった

先端巨大症は、合併症を引き起こしやすい。
脳腫瘍そのもので死ぬことはないだろうが、合併症が怖い。

2005年02月10日

手術前に動揺した

ワタシは日記に「忘我帳」と名づけている。
むろん、造語である。 手術の前のページを開くと、
相当に動揺していたことが読み取れる。
一年と少し前の記述である。

2005年02月08日

フランクル、モンテーニュのことば

自費出版をして、一番反響のあったのは、次の一節だった。長いが引用する。

2005年02月07日

白い霧の世界

下垂体に出現した4・4センチの腫瘍が、ワタシの視神経を押し上げるように圧迫した。
2003年暮れから04年1月にかけて、一時期、半失明になった。

2005年01月31日

一年ぶりに鼻をかむ

一年ぶりに鼻をかんだ。風邪を引いたためである。
えっ?かんだ理由じゃなくて、
一年間我慢していた理由ですか?

2005年01月27日

馬鹿の大足

誰にも負けないことがある。
それは、足がでかいこと。
アシックスの逆輸入品31センチをはいている。

HAMUの自費出版闘病記
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