HAMUの、先端巨大症って何とかならんか!

難病コラム一筋5000本の下垂体患者・活動家、先端巨大症とホルモン。



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2012年11月20日

難病をとらえる視座

患者3団体の訴えを聞いて、思ったこと。
日ごろ、下垂会の活動を通じて感じることでもあります。
治療を受ける、患者としての側面と
生活する、障害者としての側面と、二つある。
どちらか一方ではないのです。
いままでのニッポンの価値観は、
病人か障害者か。
二つに分けるところがあり、
見た目が傷害なら傷害者であって、
内部障害は捉えどころがないわけです。
病気が固まったら障害者。
そんな価値観が長年続いてきた。
ところが、先天性の患者が大人になることが
珍しい時代ではなくなりました。

治療は生涯続くわけで、
医療か福祉か。
患者か障害者か。
二者択一的な価値観では、解決のつかない問題って、
いっぱい、出てくるのですね。
トランジション問題からは、難病問題がよく見える。

難病患者が生きていくことの困難さは、
もっともっと複雑なのです。
医療は大事だけど、医療だけではない。
生きて暮らしていく、そのものの中に困難はある。
だから、福祉だって医療だって、必要です。
二つの視座でこそ、捉えられる課題って、
あると思う。
医学モデルだけでもない。
社会モデルだけでもない。
二つが統合されてこそ、難病は捉える事ができるのだと。

日ごろの食事代が医薬品の扱いになり、
高額な負担を強いられるPKUの例は衝撃的です。
生活の中に医療費負担という重い十字架を負わせている。

生まれつきの心臓病を抱えて、
社会で暮らしている大人が増えている。
小さい頃手術したとしても、
完治したことを意味するのではない。
定期的な検診も継続した薬物投与も、あるわけです。
就職しても続かない。
無理解から続けられない。
もっと合理性のあるルールはつくられないのか。
作業の強度や環境をなぜ配慮できないのか。
親はたいてい子どもより先に死ぬんですね。
それは自然の摂理なのに、
そこに反する行為を強いる社会もまた、おかしい。

癌対策と難病対策を分けたのは、
行政の都合でしかありません。
病態からみて、分けることに合理性がないものはあるし、
小児患児という特殊な世代への対応として、
癌は入れた方がいい。
そこはそうなのだけど、
成人したことを喜べない施策はやはり、
何かがおかしい。
子どもと大人は連続していますから、
きっちり分けられないもの、あるわけです。

小児期に辿った経過と完治しない疾患、
成人後に引き継がれていく課題を直視し、
これから何をすればいいのか。
患者団体ヒアリングは、次回も。









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