HAMUの、先端巨大症って何とかならんか!

難病コラム一筋5000本の下垂体患者・活動家、先端巨大症とホルモン。



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2012年10月27日

社会モデルだけでは

「社会モデル」は英国のオリバーという人が
リードしてきた考えで、斬新ではあるのです。
和訳が出ていますし、
傷害は社会から生じるのだという視点は、
いまの社会のありようを点検するのに役立つと思う。
ただ、それは一面にすぎません。
「生活モデル」は、それ単独では、
難病にまつわる課題の解決に役立たないどころか、
ブレーキの役割さえ、果たしかねないと思う。
生物学的・医学的な条件を
考慮しない、思考の「狭さ」を感じるのです。

難病リストの追加は、
いままで放置されてきた疾患の
具体的な解決に結び付けるものであって、
患者当事者の視点からは、「前進」以外の何物でもない。
問題解決にはスピードや実効性が問われますし、
ある意味、医療面での解決が
もっとも遅れた、治療法のない疾患にたいし、
公的投資をして、集中的に解決する試みだと思うのです。
最近は再生医療として、
失われた臓器を取り戻す所まで
研究は進もうとしており、
すっごいと、新ニュースのたび、驚きます。
10年後、20年後の医療の役割も難病患者の生活も、
変わっている予感がします。

だとすると、障害者運動から注がれる、
難病リストをつくることへの
冷ややかな視線はいったい何を意味するのか。
改善に向けた実践を否定的に捉え、
遅らせる役割をしているといえないだろうか。
この、オール・オア・ナッシング的思考は、
ルーツをたどると、
医学モデルを否定し、社会モデルを礼賛する
単調な発想にたどり着きます。
誰もが最新の治療を受けられるよう、
社会の側に「壁」をつくらない。
制度のあり様を点検するうえで、
社会モデル自体は否定しない。
だけど、難病患者の
苦しみは治療費だけじゃないのだよ。
痛みや疲れ含め、いまだ治療法のない諸症状。
具体的にどう解決すのか、
首をかしげながら、
ちょっといじ悪く尋ねてみたいくらい。









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