フランクルの思想について、久しぶりに書く。
価値のある人生とは何か。
ここに、三つのカテゴリーがある。
一つ目が創造的な価値だ。
働き盛りで仕事に恵まれていたり、
子育てに忙しかったり、
人によって、違うだろうが、 創造行為を通じて、人生に得られる意味がある。
病むと、この価値を生み出す行為が、制約を受ける。
たとえば、ワタシは知識不足もあって、
一時期「失明」を本気で心配していた。
失明すれば、仕事も出来なくなる。
創造価値が断たれることに絶句した。
失明したとき、
自分に生きている価値があるのか自問した。
これは自分に言い聞かせているのであるが、
何かの理由で、本当に失明しても、
自分を価値のない人間と見るべきではないと思ったし、今もそう思う。
二つ目は、体験価値だ。
一番目と違って、受動的ではあるけれど、
体験や出会いを通じて
得られる喜びがある。
眼が見えなくても、
きれいな音楽を聴いて、他の患者と交流して
体験価値を実現することはできるだろう。
眼が見えて、病室の窓から見えるきれいな空に感動するならば、
それは、生きている価値のあることを示している。
三つ目は、態度価値である。
運命(苦悩)にたいし、高潔な態度をとることで、
達成できる価値である。
仮に病気が進行して、
体験価値が奪われても、なお、
人には生きている意味があると。
フランクルの思想はそこまで徹底している。
フランクルは、ヒトの苦悩を悪いものとは描いていない。
苦しみ悩むからこそ、人間なのだという考えにある。
倒れそうな建築は、屋根に重荷を乗せるとしっかりする。
人間も負担を負ったほうが強いのだ。
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